■ PhotoMarket歴史コーナー ■

歴代運営係り ■PhotoMa対談( その1 その2 その3

PhotoMa対談 その1

Y >こんにちは。本日は、「PhotoMarket」の初代責任者の中村さん(Nさん)にいろいろな質問をしていきたいと思います。よろしくお願いします。
N >こちらこそよろしくお願いします。聞きたいことは、何でも聞いてください!

Y >本当に何でも聞いちゃっていいんですか??(笑) では、いきなりですが、「PhotoMarket」は、どういうきっかけで始まった写真展なのでしょうか?
N >う〜ん。。。この説明をするとちょっと話が長くなると思うのですがOKですか?

Y >OKですよ!!
N >では、遠慮なく(笑) まず、PhotoMarketを始める前までは、JT(日本たばこ産業株式会社)にスポンサーをお願いしていたJT展という写真展がありました。この写真展は、毎年JTへスポンサーになってもらえるようにお願いして、6年も続いていた写真展でした。

Y >へぇ〜!そんな写真展があったんですね!!それから?
N >また、JT展は、部員数が少なく、自分の大学のだけで写真展を開催できない写真部も参加していました。しかし、私たちの年代では、会場も狭くスポットライトのない場所での写真展に参加したいという声が少なく、残念でしたが、参加大学を集めることができなかったのでJT展はなくなってしまいました。。。(涙)

Y >残念ですね。。そんなにも狭い会場だったんですか?
N >そうですね。JT展への参加資格や作品の審査は特に無かったのですが、その会場に展示できる作品数に限りがあり、参加したいと思う人全員が出展できるだけの広い会場ではありませんでした。それも仕方がないのです。

Y >どうしてですか?
N >スポンサーになっていただいていたJTさんのギャラリーを使わせていただいていたからです。JTさんには、その他にも、写真展にかかる費用や写真展の打ち合わせの会場なども用意していただいていました。こんなに協力していただいていた方に、会場が狭いなんてことを言っては怒られますね。しかし、照明設備も十分ではなかったので、参加したいという大学を集めることができなかったのは事実です。ですから、スポンサーをお願いすることもできず、結局、JT展はなくなってしまいました。

Y >なるほど、本当にお金も出してもらっているのに会場に不満があったなんて・・・みなさん贅沢ものですよね(苦笑)
N >本当にそうですね。JTさんに対しても、6年間続けてこられた先輩方に対しても、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。このJT展をなくしてしまった責任とそれに対する思いは、今でも感じています。本当に、今まであった写真展を自分の代で絶やしてしまったということは、想像以上に辛いことです。

Y >そうですね・・・。私は経験したことがありませんが、その辛い気持ちは分かるような気がします。で、そこから「PhotoMarket」には、どうつながっていくんですか?
N >JT展の参加大学を募集している段階で、内心、開催の見込みが少ないと予感していたのです。そこで、新たに有志展という形でもいいので、4月に写真展を開こうと思いました。これが、現在の「PhotoMarket」です。

Y >そうなんですか!こんな流れがあったとは、知りませんでした。
N >そうですね。今ではJT展があったことを知らない人が多いですね。しかし、JT展がなくなって、「PhotoMarket」が始まったということは、忘れてはいけないと思います。「PhotoMarket」を開催する上で、JT展から学んだことがたくさんありますから。まさに、温故知新ですね(笑)

Y >そんな感じですね!昔ものを壊して、そこから学んだことで新しいものを造るって感じで・・・。「PhotoMarket」を始めるにあたって、まずは何をしましたか?
N >まだJT展の参加大学を募集している頃(1月頃?)でしたが、まずは会場を探し始めました。

Y >先に参加者を集めたんじゃないんですか?どうして会場から探したんですか?
N >それは、参加者を募集する段階で、具体的な話ができるということもありますし、4月〜5月に写真展を開催しようとすると、会場を早く確保しなければいけない時期だったという理由ですね。

Y >なるほど!実際には、どうやって会場をさがしたんですか?
N >それまでの写真展で、西区民センターのギャラリーを使うことが多かったので、西区民センターに問い合わせをしました。しかし、あいにく4月の土日は予約が入っていて、3月なら空いていたので3月の空いている日を予約しました。それから、どうにか4月で空いている会場を探すため、ある単純な考えから、現在の会場であるアステールプラザを探しました。

Y >それは?
N >「西区民があるなら中区民があるはずだ」という単純な発想です(笑) 本当にこの考えで、中区民の連絡先を電話帳で調べ、中区民(=アステールプラザ)を探しました。そして、偶然にも、4月末の3連休でギャラリーが空いていました。そこで、すかさずアステールへ向かい、会場を予約したのです。

Y >そうだったんですね!でも、西区民とアステールと両方の会場を確保していたんですよね?どうしてですか?
N >2箇所も会場を予約するのは、本当は良くないことだと思うのですが、第一の理由に、まだ参加者を募っていなかったので、大きな会場を予約しても大丈夫なだけの人数を集めることができるという確証がなかったからです。そして、私は新入部員も少しずつ入ってきている4月の方がいいと思っていたのですが、参加者の希望が3月と4月でどちらがいいか相談した方がいいと思っていたので・・・。

Y >でも、結局、アステールに決まりましたよね?
N >結果的にはそうですね。各大学の代表者と話し合って決めたことですが、3月は春休み中ということと、アステールの方が会場も広く、照明も明るかったことが理由です。それまでに、アステールは、今まで一度も写真展で使ったことのない会場だったので、会場を決めるために、実際に各大学の代表者と一緒にアステールプラザのギャラリーを見学に行きました。もちろん、予約していた西区民センターのギャラリーは、キャンセルしましたよ。

Y >会場の確保については分かりましたが、最も重要だと思う参加者を募集する作業はどうやって行ったんですか?
N >これが結構大変でした。それまでに、大学の写真展の時に仲良くなり、電話番号を教えてもらっていた大学には、直接電話をすることができたのですが、その他に電話番号などを知らない大学の人もいたので、どうにか連絡を取るために先輩にお願いして連絡先を教えてもらいました。そこで、先輩が教えてくれた連絡先が広島大学と県立広島女子大学の方の連絡先でした。

Y >へぇ〜!どうして先輩は、その2校にいる方の連絡先を知っていたんですか?
N >広島大学は、JT展に参加していたので、前年の責任者の方の連絡先を、そして、県立広島女子大学については、先輩の高校時代の後輩が写真部に入っていたのでその方の連絡先を、知っていたのです。先輩が顔の広い方だったので、連絡先を教えてもらうことができ、本当に感謝しています。

Y >なるほど!そういうことだったんですね!
N >はい。実際に、自分が知っている大学写真部の方の連絡先全てに、写真展への参加をお願いしました。その結果、連絡をした全ての大学の方が参加していただけることになり、9大学合同の写真展が実現することになりました。私が連絡を行ったみなさんが、私の参加依頼に快く応じていただき、とても嬉しかったです。またその際に、JT展では出来なかったことをしましょうということ(広い会場、照明設備の充実など)やスポンサーをつけずに参加者自身が参加費を払い写真展を造っていくという形式についても説明しました。

Y >どうしてスポンサーをとらなかったのですか?
N >やはりTJ展とは違う写真展にしたかったということと、スポンサーをお願いすると、何でも自由にとはいかなくなってしまうからです。他にも、参加費を払うことによって、参加者の参加意識が高まると思ったことも挙げられます。お金を払ったら、写真展に作品を出そうという気になりませんか?

Y >そうですね!確かに、お金を払ったら、作品を出そうと思うかもしれません。その他にも、スポンサーをお願いしなかった理由がありそうですが、これはいろいろと考えた末の判断だったんですね!
N >そうですね。実際に、スポンサーを探しているだけの時間がなかったのも大きな理由ですが、結果的に、参加費を集めて写真展を開催する形式の方が良かったと感じています。限りあるお金で、どこまで自分たちの写真展を造り上げるかを考えるのが楽しかったですし・・・。

Y >確かにいろいろと考えるのは楽しそうですね!ところで、参加者は何人だったんですか?
N >今、その当時を思い出す限りでは、約80人の方に参加していただいたと思います。参加していただける方がいなければ、写真展を実現することは不可能ですから、とても多くの方に参加していただき、今でも本当に感謝しています。

Y >会場も決まり、参加大学(参加者)も決まったわけですが、それからは何をしましたか?
N >おおまかな参加人数が決定した時点で、会場費やその他の経費の見積もり額から、参加費を決めました。それが、現在でも参加費としていただいている参加者一人当たり500円という金額です。

Y >どうして参加者一人当たり500円にしたんですか?
N >それには、理由があります。まず、大学ごとの参加人数に差があったため、大学単位での参加費の回収では各大学での個人の負担額が変わってしまうために、この案は却下しました。作品数単位での参加費の回収も考えましたが、出展予定枚数と実際に出展する枚数は違いますから、これも却下しました。そこで、一番不公平のない参加費の回収方法が、参加者一人当たりでの参加費の回収方法でした。

Y >いろいろ考えられた末に参加費の集め方が決まっていたんですね。こんなに考えられていたとは、正直なところ知りませんでした(汗)
N >参加者に不満の残る写真展にはしたくなかったので・・・。

Y >そうですよね!他には何をしました?
N >まだ写真展のタイトルも決まっていなかったので、タイトルを決める作業を行いました。そして、「PhotoMarket」というタイトルを県立広島女子大学の方が考えてくれました。ほとんどの方は知らないと思いますが、実は、「PhotoMarket」の他にも、「花鳥風月」というタイトルも考えられていました。

Y >えっ?!「花鳥風月」ですか?これはまた和風なタイトルですね!それに、どうして「花鳥風月」に決まらなかったんですか?
N >そうですね。純和風なタイトルですね!でも、「花鳥風月」だけでは、写真展のタイトルとは思えませんよね・・・だからです。その他にも、ポスターを作るのが難しかったというのがありますね。

Y >ポスターですか?
N >はい。写真展のタイトルは、実際にポスターを作りながら決めていました。「花鳥風月」のポスター案は、和風に作っていました。花鳥風月なだけに、花の写真を入れたりして・・・(笑) 「PhotoMarket」のポスターも作っていましたが、イマイチなポスターでした(苦笑)

Y >花鳥風月で花ですか?タイトルのままですね(笑) 
N >そんなイマイチなポスターを作っていたので、代表者との話し合いの中で、ポスターの題材やポスター案を考えてきてもらっていました。それを基に、ポスターを作成し、代表者との話し合いで意見を聞いて、フォントや文字の効果など変えては、また意見を聞くという作業を繰り返して、いいポスターを完成させました。当時はMicrosoftのWordで作っていたので、画像の加工も出来ずに苦労しました
・・・(汗)

Y >原稿は出来上がったようですが、印刷はどうしましたか?
N >印刷は、修道大学の部長さんのバイト先でコピー機を使わせていただき、無料でフルカラー印刷を約150枚もさせていただきました。修道大学の部長さんはもちろんのこと、バイト先の方にいろいろと協力していただいき、とても感謝しています。普通にコピーすると何千円もかかってしまいますから。

Y >そうですね。フルカラーのコピー代は高いですからね。その他に、宣伝活動はしなかったんですか?
N >「PhotoMarket」の開催2日前に、当時の広島テレビで、夕方に放送されていた「柏村武昭のテレビ宣言」に出演しました。夕方の人気番組だったので、宣伝効果はかなりあったと思います。

Y >テレビ出演ですか!すごいですね。で、どんな感じでしたか?
N >大学の代表者やテレビに出たい人は、来るようにとお願いしていたので、10人以上はいたと思います。私は人の影に潜んでいました(笑) 写真展の説明は、広島工業大学の部長にお願いしていたのですが、すごく緊張してカミカミの説明だったことを覚えています。また、アナウンサーの方が、朝日を写した写真を見て、「きれいな夕日ですね」と言ってしまったこともありました。もしかしたら、その時のビデオを持っている人がかもしれないですね。私も懐かしいので見てみたいのですが(笑)

Y >へぇ〜!貴重な体験ですよね!準備の段階で、他には何かありましたか?
N >あとはタイトルカードを作ることと、代表者の方と話し合って会場の移動パネルの配置を決めるくらいでした。タイトルカードについては、サイズは決めてありましたが、その他は大学ごとに任せていたので、責任者としての仕事は、特にありませんでした。移動パネルの配置は、実際に代表者の方たちと一緒に見に行ったので、みなさん会場の広さも分かっておりパネルの配置も決めやすかったです。


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